2011年01月13日
白旗の少女
http://blog-imgs-43.fc2.com/n/e/z/nezu621/20100214181059c3a.gif
これは、沖縄戦の末期に撮られた一枚の写真です。
そしてこの写真は、戦後長いこと、そして今現在も、
「少女に白旗を持たせ、その少女を盾にして、後ろからついて来て、米兵に命乞いする卑劣な日本兵の姿」
の写真として、反日活動家の反戦絵本や教科書に採用されているものです。
鬼畜日本軍に追われる哀れな沖縄県民の象徴的写真、というわけです。
ところが・・・です。
この写真の少女は、いまも生きていて、本人の証言が昭和62(1987)年に発表され、二年後の平成元(1989)年には、本人が自著による「白旗の少女」(講談社 文・比嘉富子 絵・依光隆)を出版しています。
そこには、次のように書いてあります。
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ところで、沖縄戦の記録映画が公開されて以来、あの映画のなかで、白旗をもって投降するわたしのうしろから歩いてくる兵隊さんたちが、わたしを盾にしてついてきたかのように誤解されてているのは、大変残念なことです。
この兵隊さんたちは、わたしの歩いてきた道とは別の道を歩いてきて、偶然、一本道でわたしと合流した人たちです。
そして、私のほうが先に一本道には入ったため、あたかも白旗をもった私を弾よけにして、あとからついてきたかのように見えるのです。
したがって、わたしと、背後から歩いてくる兵隊さんとは、いっさい関係がなかったのです。
このことは、事実として書き加えておかなければなりません。
(204、205頁)
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なんのことはない。事実は、写真の解説と全然違います。
ところが、この本が出版されてから20年以上も経つというのに、いまだに、この写真は、鬼畜日本兵の象徴的写真として使われている。
もう一度、この写真をご覧になってください。
http://blog-imgs-43.fc2.com/n/e/z/nezu621/20100214181059c3a.gif
後ろから歩いて来られる2名の方、まだ若い、日本の兵隊さんです。
いまだに名乗りがないところをみると、おそらく、沖縄の激戦のさ中に散華されたのでしょう。
本人が亡くなられ、一切の弁明ができないことをいいことに、嘘までついて、彼らを辱める。辱め続ける。
もし、あなたが、この写真に写っている日本兵だったら、どう思われるでしょう。
戦後65年間、45年目には、やっと「そうじゃないよ」と少女が語ってくれにもかかわらず、それでもなお、ずっとずっと、彼らはいたぶられ続けているのです。
いったいいつから、日本人は、そのような下劣な民族になり下がってしまったのでしょう。
よく「イジメ」の問題がクローズアップされます。
死者に鞭打ち、辱めを与え続ける、そんな行為を、あたりまえのようにする民族なら、イジメくらいあったって、あたりまえ、のような気がします。
この国の、根本精神から変えていかなければ、イジメの問題はクリアできない。
そんなふうに思います。
2011年01月13日
2011年01月13日
フライングタイガース
フライングタイガースが
米国を出発して
ビルマに到着したのは
昭和16(1941)年春のことである
この事実は
日本が「甲案・乙案」まで譲歩し
開戦回避を必死で模索して
ワシントンで日米交渉を行っていた時
既に米国側は
対日参戦にひそかに踏み切っていたことを示している
じゃあな