プロフィール
『にっしゃん』
『にっしゃん』
昭和40年3月14日生
魚座 O型 土星人(-)
昭和52年
加古川市立鳩里小学校卒
昭和55年
加古川市立加古川中学校卒
昭和58年
兵庫県立加古川西高等学校卒
昭和62年
近畿大学法学部卒
平成4年
三幸道路㈱創業
平成26年
加古川市議会議員
平成30年
福祉環境常任委員会 委員長
令和元年
都市計画審議会 委員
令和3年
加古川市 監査委員
令和4年
建設経済常任委員会 委員長

主な略歴
(一社)加古川青年会議所
 第47代理事長
加古川市立加古川中学校
  PTA元会長
兵庫県立加古川東高等学校
  PTA元副会長
兵庫県立加古川西高等学校
 育友会 元会長
加古川異業種交流会 会長
加古川水泳協会 会長
加古川ボクシング協会 顧問
加古川市ゴルフ協会 監事
加古川ボート協会 副理事長
近畿警察官友の会 会員
加古川中央ロータリークラブ 会員
東播磨倫理法人会 会員
剣詩舞道 新免流 後援会 会長
加古川保護区 保護司

家族
妻と二人の娘、一人の息子
趣味
将棋・書道・釣り・ゴルフ
好きな食べ物
みりん干し

三幸道路株式会社
加古川中央ロータリークラブ
 
社団法人 加古川青年会議所
 

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2011年04月05日

佐藤山

手作りの避難所を造った佐藤善文さん。登り口には手書きの看板が掲げられていた




凄い人やと思うけど





こんな人こそ



政治家になって欲しい














じゃあな
パー








手作り避難所、70人救った 10年かけ岩山に 東松島

 「津波なんてここまで来るわけがない」。そう言われながら、約10年がかりで岩山に避難所を造った男性がいる。700人以上が死亡した宮城県東松島市で、この場所が約70人の命を救った。

 東松島市の野蒜(のびる)地区。立ち並ぶ高さ30メートルほどの岩山の一つに階段が彫られ、登り口に「災害避難所(津波)」と書かれた看板があった。お年寄りでも上れるように段差は低く、手すりもある。平らになった頂上には、8畳の小屋とあずま屋、海を見渡せる展望台が立てられていた。

 近くに住む土地の所有者、佐藤善文さん(77)が10年ほど前から、退職金をつぎ込んで1人で造った。「避難場所は家からすぐの場所になくちゃってね」。住民には「佐藤山」と呼ばれていた。

 地震があった11日、佐藤さんが4人の家族と犬を連れて登ると、すでに40人ほどがここに避難していた。津波は「ブォー」と膨れ上がって押し寄せ、立ち木や家屋がなぎ倒される音がバリバリと響いた。

 いったん波が引いたあと、「第2波には耐えられない」とさらに人がやってきた。「線路の辺りで波に巻き込まれた」という傷だらけの男性など4人も流れ着き、避難した「佐藤山」の人々が棒を差し出して引っ張り上げた。避難者は70人ほどになり、お年寄りやけが人は小屋でストーブをたき、男性陣はあずま屋でたき火をして夜を明かした。

 夜が明けると、1960年のチリ地震による津波でも床上浸水だった周辺は、流失した家屋やがれきで埋め尽くされていた。避難した遠山秀一さん(59)は「『ここには大きな津波は来ないよ』と佐藤さんの作業を半ば笑って見ていたけど、先見の明があった」と感謝する。

 一方、周辺では指定避難場所も津波に襲われ、多くの人が犠牲になった。佐藤さんはこれまで「大きな津波は、建物ではダメ。高台に逃げるのが鉄則」と市に訴えたこともあったが、「佐藤山」は指定されなかった。  

Posted by 『にっしゃん』 at 07:18Comments(0)災害