2012年06月15日
「本当は国がやるべきだ」 :石原都知事
衆議院 決算行政監視委員会 参考人 石原慎太郎東京都知事
石原都知事を
支持します
じゃあな
尖閣購入「本当は国がやるべきだ」 石原都知事が国会で意見表明
【2012.6.11 23:54 サンケイ新聞】
衆院決算行政監視委員会(新藤義孝委員長)は11日、沖縄県石垣市の尖閣諸島の保全をめぐり、東京都による尖閣購入を表明している石原慎太郎知事や石垣市の中山義隆市長らを参考人招致した。石原氏は今年度内の購入に意欲を示した上で、「本当は国がやるべきだ。東京がやるのは筋違いだが、やらざるを得ない状況だ」と強調した。
石原氏は尖閣購入を目指す理由について「自分たちの家に強盗が『入るぞ』と宣言しているのに戸締まりをしない国がどこにあるのか」と述べた。
また、国が同委員会の上陸調査への協力を拒んでいるとも指摘し、「都の船をいくらでも提供する。国会議員は行ってくださいよ」と促した。
都による尖閣購入をめぐっては、丹羽宇一郎駐中国大使が「日中関係に極めて深刻な危機をもたらす」との見解を英紙のインタビューで示しているが、石原氏は「(藤村修)官房長官が『(丹羽氏の発言は)政府の意向でない』と言った。政府の意向と違う大事な発言をする大使は速やかに更迭すべきだ」と述べた。
一方、中山氏は都の尖閣購入について「賛意をもってともに行動したい」と表明。国に上陸許可や漁船向けの避難港整備を求めた。国による購入に関しては「(政府関係者以外の上陸を認めない)今と同じような管理の状況が続くようなら意味がない」と述べた。
同委員会には、山田吉彦東海大教授と横畑泰志富山大准教授も出席した。
やっぱりねぇ 石原さんに首相をやってもらいたかったです。なんで出来なかったろうか。
それからよく発言がちょっとあれな方ですが、みたいな前置きをする人が多いですが あんなの当然でしょ? これだけ売国奴あまたさぶらいける中で 本気で国を思っていたらあれだって足りないくらいに腸は煮えくり返りますよ。そうでしょう? 国会議員を前にしてあなた達の責任なんだよ!!とか言いましたよね 当然ですよ。石原さんが若かった時からずうっっっっと尖閣については言い続けて来たじゃないですか。勿論これだけじゃないですが いっぱいある。長年やっていたら積もりに積もったあれこれがいっぱいあるでしょう。年を経るにしたがって益々酷くなるマスコミ。よくやっていると思う 記者会見。あんだけの売国無知の記者を毎度毎度目の前にして 丁寧ですよ返答が。 ホントに私には勤まらない。
皆さん 動画ご覧になってください。石原さんの右隣に寝ぼけた野朗がずうっと とろとろの顔して目障りで仕方ありません。出来損ないの福笑いみたいな顔した奴です。これもなんか暗示的です。石原さんVS衆議院という図のようです。
06.11 衆議院 決算行政監視委員会 参考人意見聴取
http://www.youtube.com/watch?v=R7lfL7bkI-s&feature=channel&list=UL
「おまけです」
<参考>まで送らせて頂きます。
ビートたけしのTVタックル
2012年6月11日 120611
内容:なし崩しの野田政権!消費増税で自民と談合?どうなる消費税
出演:ビートたけし、阿川佐和子、大竹まこと、江口ともみ、岸博幸、宮崎哲弥、青山繁晴、飯島勲
http://youtubeowaraitv.blog32.fc2.com/blog-entry-18166.html
2012年06月15日
侵略に対して
歴史は
繰り返されている・・・
じゃあな
【産経抄 2012.6.13】
「強盗が『入るぞ』と宣言しているのに戸締まりをしない国がどこにあるのか」。一昨日、国会に参考人として出席した石原慎太郎東京都知事の言葉である。都が購入を宣言している尖閣諸島をめぐり、中国から島を守る意志を見せない政府を一喝したのだ。
▼似たような例えを読んだことがある。と思ったら109年前の明治36年、ジャーナリストの黒岩涙香(るいこう)が、発行する『万朝報(よろずちょうほう)』紙に書いた社説だった。満州から朝鮮半島にまで手を伸ばすロシアと戦うべきか否か、国論が割れていた当時のことである。
▼『万朝報』ではそれまで内村鑑三らが非戦論を展開していた。それが開戦論に転じ批判を浴びた。涙香はこんなふうに反論する。「賊が夫婦げんかに乗じて家に押し入り、財産を奪おうとした。気付いた夫婦は争いをやめ、心を一にして賊と戦う。これを戦いを好むというのか」。
▼ロシアが日本まで窺(うかが)おうとしている以上、国が一つになり戦うのは当然だろうというのだ。東シナ海から南シナ海にまで覇権を伸ばそうとする現代中国は当時のロシアそっくりだ。石原氏の口から涙香と同じような例え話が出てきたのも当然かもしれない。
▼しかし1世紀前の場合、その「警告」は同時代の人々に受け入れられた。内村はあくまで非戦を主張したが、国民挙げて開戦と決まったらあえてそれ以上反対はしない、と述べている。それほどロシアに対する危機感は国民に共通していた。
▼対照的に石原氏の「警告」にも政府はどこ吹く風だ。それどころか、駐中国大使は都の尖閣購入を「日中関係に深刻な危機をもたらす」と批判した。まるで「戸締まりなどしたら強盗さんが気を悪くする」と言っているみたいだ。
<新聞「万朝報(よろずちょうほう)」>
明治25年(1892)11月1日、都新聞を辞した黒岩涙香の手により、東京で創刊される。発行所名は「朝報社」。紙名「万朝報」は「よろず重宝」にあやかる。簡単・明瞭・痛快をモットーとし、社会悪に対しては徹底的に追求するという態度と、涙香自身による連載翻案探偵小説の人気によって急速に発展し、明治32年末にはその発行部数が東京の新聞中1位に達した。第三面に扇情的な社会記事を取り上げた事で「三面記事」の語を生んだ。
明治36年10月、日露国交の危機に臨んで、非戦を固持する幸徳、堺、内村が退社。これを機に次第に衰微、昭和15年(1940)10月1日「東京毎夕新聞」に合併。貫いた反権力、新聞小説を通じて大衆への文学の普及、英文欄の創設、平民社の先駆ともいえる「理想団」の結成など、近代日本の新聞史上、その功績は大きい。
<高知県関係者>
◆山本秀樹(1862~1932)
◆田岡嶺雲(1870~1912)
◆幸徳秋水(1871~1911)→非戦論を唱え退社
◆野崎左文(1858~1935)
◆岡繁樹(1878~1954)
◆馬場孤蝶(1869~1940)
◆中内蝶二(1875~1937)
<他府県関係者>
◆堺利彦(1871~1933)→非戦論を唱え退社
◆内村鑑三(1861~1930)→非戦論を唱え退社
◆斉藤緑雨(1867~1904)
◆山形五十雄(1869~1959)
◆森田思軒(1861~1897)
◆松居松葉(1870~1933)
◆茅原華山(1870~1952)
※反権力姿勢の「万朝報」だったが、日露戦争開戦のおり、最初は非戦を唱えていたものの、世間の流れが開戦にかたむくにつれて、主戦に転じた。幸徳秋水、内村鑑三、堺利彦らは非戦を固持し、涙香らと袂を分かつ。明治36年10月12日の「万朝報」に、秋水・内村・堺の退社の辞と、涙香の送別の辞が掲載された。