2011年05月12日
日本の領土である証拠の一つ
尖閣諸島が
日本の領土である
証拠の一つです
じゃあな
大正8年(西暦1919年=中華民国8年)冬。
中華民国福建省は恵安県(現福建省泉州市)の漁民、郭合順氏等31人が東支那海で遭難し、尖閣列島(尖閣諸島)の「和洋島」(魚釣島の事)に漂着すると言う事件がありました。
その際、石垣村(石垣島)の豊川善佐(村長)・富田孫伴こと玉代勢孫伴(たまよせ-そんばん;石垣村衛生係雇、後に村助役)・古賀善次(尖閣諸島開拓者・古賀辰四郎氏の子息)の各氏、そして、与那国島出身女性通訳の松葉ロブナストさん等が救助すると共に献身的に看病。
その甲斐あって皆元気になり、翌大正9年(西暦1920年=中華民国9年)、無事帰国出来たのですが、その際、中華民国駐長崎領事の馮冕(ひょう-めん)が四人に対して感謝状を贈りました。
その内、現存する物が玉代勢氏に贈られた一枚なのです。(写真)
そして、この感謝状には以下の如く記されています。
日本帝國沖繩縣八重山郡尖閣列島と。
そう、「華駐長崎領事」と「中華民国駐長崎領事印」の二つの公印が押印されたこの感謝状に於いて、中華民國駐長崎領事の馮冕は、「日本帝國八重山郡石垣村」と同様に、尖閣諸島は日本の領土であると記しているのです。
然(しか)も、この感謝状が贈られたのは、前述の台湾国民中学地理教科書の初版が刊行された半世紀も前の事なのです。
引用先 http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/senkaku_5.html
Posted by 『にっしゃん』 at 07:17│Comments(0)
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