2011年12月07日
政治的囚人だった・・・

共産主義は
怖い
じゃあな

スターリンの一人娘、米で死去「父のせいで、どこにいても政治的囚人だった」
【産経新聞 11月29日(火)20時47分配信】
【モスクワ】ソ連の独裁者スターリンの一人娘、ラナ・ピータースさん(旧名スベトラーナ・アリルーエワ)が22日、大腸がんのため米ウィスコンシン州で死去した。85歳だった。イタル・タス通信などが28日に伝えた。1967年に米国に亡命して世界的なニュースになったが、「私は父のおかげで、どこにいても政治的な囚人であり続ける」と述べるなど、孤独な晩年を送った。
26年2月、スターリンと2人目の妻ナジェージダの間に生まれ、モスクワ大歴史学部卒業後、英語の通訳や文学編集者として働いた。67年にインドを訪れた際、ソ連のパスポートを燃やして亡命を宣言、回顧録「友人への20通の手紙」を発表した。父親やクレムリンの様子を伝えた同書は大きな反響を呼んだ。
80年代半ばにソ連を訪れて記者会見し、「(西側では)自由な日は一日としてなかった」と述べたが再び米国に戻り、以来、ウィスコンシン州の小さな町で人目を避けて過ごした。2008年には、「米国での40年の生活は私に何ももたらさなかった。しかし、移住するには遅すぎる。私は米国で死ぬ」と語った。
粛清や強制移住を行ったスターリン体制については、後継国ロシアのプーチン首相が「全体主義の悪行という評価が与えられており、見直されるべきではない」と述べるなど、政府の姿勢も徐々に変わりつつある。半面、第二次世界大戦での勝利や工業発展をもたらしたとして、高齢者を中心にいまも支持者がおり、その評価はしばしば政治的議論の的になっている。
Posted by 『にっしゃん』 at 14:41│Comments(0)
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