2012年04月24日
「南スーダンは虫」戦闘宣言
スーダン与党の国民会議党本部で演説するオマル・バシル大統領。南スーダンを「虫」呼ばわりし、南北いずれかの首都が陥落するまで戦闘を続けると豪語した

信じられへんけど・・・
これが現実
じゃあな
「南スーダンは虫」戦闘宣言/スーダン大統領、油田奪還強調
【サンケイ エクスプレス 2012/04/20】
スーダンのオマル・バシル大統領(68)は18日、首都ハルツームで演説し、「われわれの目標は南スーダン市民を(南スーダン与党の)スーダン人民解放運動(SPLM)から解放することだ」と宣言、南スーダン政府を打倒する方針を示した。昨年7月にスーダンから分離独立したばかりの南スーダンが今月、国境に近いスーダン南部のヘグリグ油田を武力制圧したのを機に両国の緊張が極度に高まっており、バシル氏の“宣戦布告”で全面的な戦闘突入の恐れが出てきた。しかし、南北スーダンの不安定化は、イスラム過激派に活動拠点を与えることになりかねず、国際社会も座視は許されない状況だ。
バシル氏はスーダン与党の国民会議党(NCP)の党員に向けた演説で、南スーダン軍に10日に掌握されたスーダンのヘグリグ油田の早期奪還を予告。「終わりはわれわれが(南スーダンの首都)ジュバに到達するか、やつらがハルツームに到達するかだ」と述べ、全面対決の姿勢を強調した。
南スーダンをSPLMに委ねたのは「間違いだった」とも述べ、さらに「SPLMはスーダンを破壊する『虫』だ!」と語気を荒らげた。スーダン国民議会は16日、南スーダン政府を「敵」と見なすとする決議を採択している。
22年で200万人死亡
英国の植民地を経て1956年に独立した旧スーダンは、北部(現スーダン)はアラブ系イスラム教徒が多数を占め、南部(現南スーダン)はキリスト教などを信じる黒人が大半で、紛争の火種が絶えなかった。そして83年、スーダンの北部中央政府によるシャリーア(イスラム法)導入を機に南北の内戦が始まり、2005年1月に包括和平合意(CPA)が結ばれるまでの22年間で約200万人が死亡した。
和平の仲介で中心的役割を担ったのが米国だった。01年に米中枢同時テロを経験した米国は、内戦が続くスーダンがイスラム過激派によって拠点化されていることに脅威を感じ、地域の安定化を望んだからである。スーダンは、国際テロ組織アルカーイダの頭目、ウサマ・ビンラーディンが90年代の一時期、活動拠点にしていたことでも知られる。
見切り発車的独立
しかし、和平合意は完全には履行されず、業を煮やした米国が住民投票を経てバシル氏にのませたのが、南スーダン独立だった。旧スーダンは国家収入の6割を石油輸出に頼っていたが、油田の80%が南部に集中していたため、バシル氏は独立には強い難色を示したが、米政府の「独立を認めなければ、テロ支援国家の指定も経済制裁も解除しない」との脅し文句にバシル氏は折れたのであった。
ただ、国境線の20%は未画定、石油収入の配分比率も未定という状態での見切り発車的独立だった。南スーダンのサルバ・キール大統領(60)=写真=も「国益を守ることに一切の妥協はない」と強硬だ。国連安全保障理事会は17日、戦闘停止を促すため、南北両国への制裁の検討に入ったが、戦闘がさらに激化すれば、国境から約500キロ離れたジュバに駐屯する日本の陸上自衛隊の国連平和維持活動(PKO)にも影響が出る。

信じられへんけど・・・
これが現実
じゃあな

「南スーダンは虫」戦闘宣言/スーダン大統領、油田奪還強調
【サンケイ エクスプレス 2012/04/20】
スーダンのオマル・バシル大統領(68)は18日、首都ハルツームで演説し、「われわれの目標は南スーダン市民を(南スーダン与党の)スーダン人民解放運動(SPLM)から解放することだ」と宣言、南スーダン政府を打倒する方針を示した。昨年7月にスーダンから分離独立したばかりの南スーダンが今月、国境に近いスーダン南部のヘグリグ油田を武力制圧したのを機に両国の緊張が極度に高まっており、バシル氏の“宣戦布告”で全面的な戦闘突入の恐れが出てきた。しかし、南北スーダンの不安定化は、イスラム過激派に活動拠点を与えることになりかねず、国際社会も座視は許されない状況だ。
バシル氏はスーダン与党の国民会議党(NCP)の党員に向けた演説で、南スーダン軍に10日に掌握されたスーダンのヘグリグ油田の早期奪還を予告。「終わりはわれわれが(南スーダンの首都)ジュバに到達するか、やつらがハルツームに到達するかだ」と述べ、全面対決の姿勢を強調した。
南スーダンをSPLMに委ねたのは「間違いだった」とも述べ、さらに「SPLMはスーダンを破壊する『虫』だ!」と語気を荒らげた。スーダン国民議会は16日、南スーダン政府を「敵」と見なすとする決議を採択している。
22年で200万人死亡
英国の植民地を経て1956年に独立した旧スーダンは、北部(現スーダン)はアラブ系イスラム教徒が多数を占め、南部(現南スーダン)はキリスト教などを信じる黒人が大半で、紛争の火種が絶えなかった。そして83年、スーダンの北部中央政府によるシャリーア(イスラム法)導入を機に南北の内戦が始まり、2005年1月に包括和平合意(CPA)が結ばれるまでの22年間で約200万人が死亡した。
和平の仲介で中心的役割を担ったのが米国だった。01年に米中枢同時テロを経験した米国は、内戦が続くスーダンがイスラム過激派によって拠点化されていることに脅威を感じ、地域の安定化を望んだからである。スーダンは、国際テロ組織アルカーイダの頭目、ウサマ・ビンラーディンが90年代の一時期、活動拠点にしていたことでも知られる。
見切り発車的独立
しかし、和平合意は完全には履行されず、業を煮やした米国が住民投票を経てバシル氏にのませたのが、南スーダン独立だった。旧スーダンは国家収入の6割を石油輸出に頼っていたが、油田の80%が南部に集中していたため、バシル氏は独立には強い難色を示したが、米政府の「独立を認めなければ、テロ支援国家の指定も経済制裁も解除しない」との脅し文句にバシル氏は折れたのであった。
ただ、国境線の20%は未画定、石油収入の配分比率も未定という状態での見切り発車的独立だった。南スーダンのサルバ・キール大統領(60)=写真=も「国益を守ることに一切の妥協はない」と強硬だ。国連安全保障理事会は17日、戦闘停止を促すため、南北両国への制裁の検討に入ったが、戦闘がさらに激化すれば、国境から約500キロ離れたジュバに駐屯する日本の陸上自衛隊の国連平和維持活動(PKO)にも影響が出る。
Posted by 『にっしゃん』 at 07:17│Comments(0)
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