2012年06月18日
愛国心を涵養する名言集 4/4

教科書に
載せたい
じゃあな

愛国心を涵養する名言集(4/4)
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敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花
これは、私が敬愛する新渡戸稲造先生の名著『武士道』の中で改めて紹介されている本居宣長の和歌ですが、この「大和心」こそ、日本人が最も誇りに思うべき普遍的真理であり、人類社会がいま直面している危機状況を乗り切っていくために、絶対に必要不可欠な精神的指針なのではないでしょうか。
[李登輝]
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しかし、結局のところ、最後に勝ったのは日本だった。
日本のとった道、すなわち、自らの主権のもとに、近代化、西洋化をはかるという道が、結局、西洋を打ち負かした。日本は西洋を取り込むことによって、西洋の支配を免れた。
軍事的には、日本は第二次世界大戦(大東亜戦争)において、歴史上、最も決定的な敗北を喫した。自ら植民地大国たらんとする政治的な野望は達せられなかった。
しかし、その後の推移では、政治的に敗北したのは西洋だった。
日本は、西洋をアジアから追い出し、西洋の植民地勢力の権威を失墜させることに成功した。
その結果、西洋はアジア、ついでアフリカの西洋化された非西洋世界に対する支配権を放棄せざるをえなくなった。
[P.F.ドラッガー]
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日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。
第一に、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われたインドネシア語は驚異的発展をとげた。
第二に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえ、きびしい規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。
第三に、職場からオランダ人がすべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、われわれに高い能力や大きい責任を要求する、重要な仕事をまかせた。
[インドネシアの中学3年用の歴史教科書]
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第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。
その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。
[アーノルド.・トインビー]
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この聖地において、私は、あらゆる宗教の根底的な統一性を感得する。(伊勢神宮について)
[アーノルド.トインビー]
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神宮の建築は、ギリシアのパルテノンに比すべき、すばらしいものである。
天から降ってきたようなこの建築は、日本固有文化の精髄であり、世界建築の王座である。
[ブルーノ.Eタウト]
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アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか。
それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、また、植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、日本に対して抱いている深い尊敬のゆえである。
往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。
私は前大戦中のいろいろな出来事を思い出せるが、当時、大東亜共栄圏のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである。
[J・R・ジャヤワルダナ蔵相(セイロン -現スリランカ)]
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日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは難産して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であるのか。
それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。
12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意された日である。
更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。
我々はこの2つの日を忘れてはならない。
[ククリット・プラモード(タイ元首相)]
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日本人は、古きより美しくやさしき自然に育てられて、美しくやさしき詩人たるべく養われたりき。
[山路愛山]
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以上は、FBの友人のKさんからいただいた名言集です。
Kさんも、ご友人の方から送られてお読みになられたのだそうです。
Kさんはおっしゃいます。
「読んでいて、涙が止まりませんでした。今の私たちは、このように世界の人々が宝石のように大切に思って下さっている民族なのでしょうか?」
「今、反日抗日を叫んでいる朝鮮人の中にも真に日本人を評価している人もいたのだと知りました。
そのような朝鮮人の方々と真の歴史認識を共有して、両国の正しい歴史を共有する事が出来れば、日本と朝鮮は全く異なる未来へと向かう事でしょう」
「今、日本を滅亡させようと企む勢力は一体何なのか?
私達日本人は何と闘い、何と協力するべきなのか?
今一度、しっかりと考える必要があるのかもしれません。」
上述の名言集には、韓国、北朝鮮出身者の方も出て来ます。
その中に安重根も出ています。
彼は、伊藤博文を暗殺した犯人です。
安重根は、いまの韓国では、抗日の英雄、建国の義士として国民的英雄の地位を与えられているといいます。
けれど歴史を振り返れば、彼は初代韓国総監です。
そして当時の朝鮮半島は、日本の保護国でした。
その朝鮮半島を日本が併合すべしという意見に対し、伊藤博文は、これに反対しています。
つまり、日本と朝鮮半島の関係は、日本が半島を保護するに停めていれば良いというのが、伊藤博文の立場でした。
これに対して安重根は、むしろ積極的に日本に半島内に介入してもらうことで、短期間に韓国に地力を付けさせ、朝鮮民族の近代化を早期に実現しようと考えていました。
だから、日韓併合に反対だった伊藤博文を邪魔な存在として、暗殺しています。
要するに安重根は、朝鮮民族主義であると同時に、親日主義の日本統治歓迎派だったわけです。
彼の言葉が、その全てを物語っています。
それからもうひとつ、名言集の中に東京裁判関係のものがいくつかあります。
なので、ひとつだけ申し上げたいと思います。
東京裁判では、東條英機、広田弘毅、松井石根、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、武藤章の7人が死刑の宣告を受けました。
昭和23(1948)年12月23日、巣鴨拘置所内で、その執行がなされています。
この執行に、日本人でただ一人絞首台に立会ったのが、浄土真宗の僧侶であり東大教授であった花山信勝師です。
その目撃談です。
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残り時間は二分しかないというので、花山師は「三誓偈」の初めの三頌と最後の一頌を読んだ。
誰からともなく「万歳」はどうだろうか、という声が上がった。
いいだろうということになり、最年長の松井石根が音頭をとり「天皇陛下万歳」を三唱し、つづいて「大日本帝国万歳」を三唱した。
「日本で天皇陛下万歳、大日本帝国万歳を叫んだのはこの七人が最後でしょうな」
花山信勝師は当時の場面を思い出したのか、感動的にそう言ってから暫く言葉につまった。
いよいよ最期、というときに東條さんが、両腕をとっている大きな下士官にむかって、ゴクローサン、アリガトウ、アリガトウといい、七人みんながアリガトウといったんです。
死ぬ間際の真剣な万歳とアリガトウということばに感動したのか、後ろで見張り番をしていた四、五人の将校が繋がれた四人のところにやってきて、自分から手を差し出して握手を求めたんです。
こういうのは世界に例がありませんよ。
絞首刑にするほうと、されるほうが固い握手を交わすなんて。
まったく珍しいことですよ。
わたしはこの光景をこの目で見たんです
(「東條英機わが無念」佐藤早苗著)
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「死ぬ間際の真剣な万歳とアリガトウということばに感動したのか、後ろで見張り番をしていた四、五人の将校が繋がれた四人のところにやってきて、自分から手を差し出して握手を求めた」
これが日本人です。
Posted by 『にっしゃん』 at 08:17│Comments(0)
│愛国
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