2014年04月11日
教育勅語の原本
教育勅語の原本、半世紀ぶり確認 国立公文書館で公開へ
msn産経ニュース 2014.4.8 10:00

公開された教育勅語原本(右)と謄本
文部科学省は8日、明治23(1890)年発布の「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)の原本とされる文書を、52年ぶりに確認したことを明らかにした。大正12(1923)年の関東大震災で文部省(当時)の庁舎が焼けた際、強い熱を受けて変色するなど損傷が激しく、明治天皇の御名御璽(ぎょめいぎょじ)のある後半部分が開けない状態になっている。歴史的な資料として国立公文書館に移管し、修復のうえ公開される見通しだ。
文科省によると、教育勅語の原本は昭和37年の「学制公布90年記念式典」で東京・銀座のデパート白木屋に特別展示された記録があるが、その後は所在不明になっていた。しかし平成24年、東京・上野の東京国立博物館の書庫にあるのを職員が確認、当時のメモなどと照合し、原本と判断した。
明治天皇が山縣有朋内閣に与えて発布された教育勅語には、父母への孝行、夫婦の調和、博愛など12の徳目が示され、修身(道徳教育)の根本規範とされた。明治24(1891)年から原本の謄本が全国の小学校に配布、掲示されたが、戦後は連合国軍総司令部(GHQ)の圧力などで排除され、学校から回収された。
文科省では今回、原本のほか謄本の巻物一巻と、初代文部大臣の森有礼が明治19(1886)年に職員の心構えを記した「自警」、日露戦争中の明治37(1904)年に明治天皇の意向が示された「軍國多事ノ際教育ニ関スル御沙汰書」などの資料20点を国立公文書館に移管することにした。
【配信元】NPO法人 百人の会
否定される根拠が
解らない・・・
じゃあな
msn産経ニュース 2014.4.8 10:00

公開された教育勅語原本(右)と謄本
文部科学省は8日、明治23(1890)年発布の「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)の原本とされる文書を、52年ぶりに確認したことを明らかにした。大正12(1923)年の関東大震災で文部省(当時)の庁舎が焼けた際、強い熱を受けて変色するなど損傷が激しく、明治天皇の御名御璽(ぎょめいぎょじ)のある後半部分が開けない状態になっている。歴史的な資料として国立公文書館に移管し、修復のうえ公開される見通しだ。
文科省によると、教育勅語の原本は昭和37年の「学制公布90年記念式典」で東京・銀座のデパート白木屋に特別展示された記録があるが、その後は所在不明になっていた。しかし平成24年、東京・上野の東京国立博物館の書庫にあるのを職員が確認、当時のメモなどと照合し、原本と判断した。
明治天皇が山縣有朋内閣に与えて発布された教育勅語には、父母への孝行、夫婦の調和、博愛など12の徳目が示され、修身(道徳教育)の根本規範とされた。明治24(1891)年から原本の謄本が全国の小学校に配布、掲示されたが、戦後は連合国軍総司令部(GHQ)の圧力などで排除され、学校から回収された。
文科省では今回、原本のほか謄本の巻物一巻と、初代文部大臣の森有礼が明治19(1886)年に職員の心構えを記した「自警」、日露戦争中の明治37(1904)年に明治天皇の意向が示された「軍國多事ノ際教育ニ関スル御沙汰書」などの資料20点を国立公文書館に移管することにした。
【配信元】NPO法人 百人の会
否定される根拠が
解らない・・・
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