プロフィール
『にっしゃん』
『にっしゃん』
昭和40年3月14日生
魚座 O型 土星人(-)
昭和52年
加古川市立鳩里小学校卒
昭和55年
加古川市立加古川中学校卒
昭和58年
兵庫県立加古川西高等学校卒
昭和62年
近畿大学法学部卒
平成4年
三幸道路㈱創業
平成26年
加古川市議会議員
平成30年
福祉環境常任委員会 委員長
令和元年
都市計画審議会 委員
令和3年
加古川市 監査委員
令和4年
建設経済常任委員会 委員長

主な略歴
(一社)加古川青年会議所
 第47代理事長
加古川市立加古川中学校
  PTA元会長
兵庫県立加古川東高等学校
  PTA元副会長
兵庫県立加古川西高等学校
 育友会 元会長
加古川異業種交流会 会長
加古川水泳協会 会長
加古川ボクシング協会 顧問
加古川市ゴルフ協会 監事
加古川ボート協会 副理事長
近畿警察官友の会 会員
加古川中央ロータリークラブ 会員
東播磨倫理法人会 会員
剣詩舞道 新免流 後援会 会長
加古川保護区 保護司

家族
妻と二人の娘、一人の息子
趣味
将棋・書道・釣り・ゴルフ
好きな食べ物
みりん干し

三幸道路株式会社
加古川中央ロータリークラブ
 
社団法人 加古川青年会議所
 

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2011年03月31日

災害派遣の準備を整えた直後に津波に襲われた車列

災害派遣の準備を整えた直後に津波に襲われた車列




海外メディアでは



自衛隊関連の



報道が多いのに







日本人には



知らされていない・・・














じゃあな
パー








■米軍支援も引き出す

 宮城県多賀城市の多賀城駐屯地では整然と並んだ陸自車両のタイヤが水に埋まった。

車体には「災害派遣」の垂れ幕。地震発生を受け、出動しようと矢先を津波にのまれたのだ。

いかに迅速に出動態勢をとるか。そんな訓練が徹底されている証しでもある。



 大規模支援を買って出た米軍を鼓舞させたのも、そんな自衛隊員の姿だった。

 《米軍は初めは様子見だったが、自衛隊が命をかけて任務を遂行するさまを見て本気になった》

 東京電力福島第1原子力発電所では被曝(ひばく)の恐怖に臆することもない。

17日からの放水活動の口火を切ったのも自衛隊だった。

直後に米軍が放射能被害管理などを専門とする部隊約450人の派遣準備に入ったと表明したのは、米側が自衛隊の「本気度」を確信したからだといわれる。



 ある隊員からこんなメールが届いた。

《自衛隊にしできないなら、危険を冒してでも黙々とやる》

《国民を守る最後の砦。それが、われわれの思いだ》


 きょうも自衛隊員は被災者のそばにいる。  

Posted by 『にっしゃん』 at 17:17Comments(0)

2011年03月31日

車座で痛みを共有

被災者の遺体に手を合わせる隊員



自衛隊員の



活動を



国民は知る必要が



あると思う













じゃあな
パー








■車座で痛みを共有
 《海には数メートルおきにご遺体が浮いている》《幼い亡骸(なきがら)を目にすると、わが子とダブってたまらない》

 地震に津波の被害が重なった大震災。遺体収容も自衛隊の重要な任務のひとつで27日までに4150体を収容した。

写真は宮城県山元町で冷たい水に膝までつかりながら遺体を囲み手を合わせる隊員を写し出す。



 日常的に遺体を扱う警察官と違い、慣れているわけではない。とりわけ、海に流された遺体と対面するのはつらい作業だという。

 《流木にはさまれ、両手をあげていた。最後まで救助を信じていたように…》

 凄惨(せいさん)な現場は、隊員の心を消耗させ、無力感さえ抱かせかねない。

そのために陸上自衛隊はメンタルヘルスを重視し、夜ごと隊員を10人ほどの班に分け、車座になって一日を振り返る時間をつくった。

陸自隊員は「仲間と苦しみ、痛みを共有できれば気力がわいてくる」と打ち明ける。



■被災者支援が第一

 《自宅が全壊、家族も行方不明という隊員が普通に働いている。かけてあげる言葉がみつからない》

 身内に被害が出た隊員も被災者支援を続ける。

 《被災地に来て12日目。風呂はまだ1回しか入れていない》《毎日、乾パンや缶メシと水だけ》

 炊き出しで温かい汁ものの食事を被災者に提供しても隊員が口にするのは冷たいものばかりだ。

写真は岩手県山田町でわずかな休憩時間に狭いトラックの中で膝詰めになり、冷えたままの缶詰の食料を口に運ぶ隊員を写す。

 22カ所で入浴支援も行っているが、汗と泥にまみれた隊員は入浴もままならない。「わが身は顧みず、何ごとも被災者第一」の方針を貫く。

 兵たんや偵察といった自衛隊ならではのノウハウを生かし、役割も増している。

集積所によっては滞りがちだった物資輸送の効率化に向け、自治体や運送会社を束ねるシステムを立ち上げた。

孤立地域のニーズをきめ細かく把握する「御用聞き任務」も始めた。


 《被災者の心細さを考えたら…。がんばる》
  

Posted by 『にっしゃん』 at 11:55Comments(0)災害

2011年03月31日

黙して語らぬ自衛隊員の姿




これだけ貢献しているのに



何故に報道されないのか!?






かなり



おかしいと思う















じゃあな
パー









写真とメールが物語る、黙して語らぬ自衛隊員の姿


東日本大震災での自衛隊による被災者支援活動は「最後の砦(とりで)」である。


隊員はその重みを感じながら黙々と働くが、肉体的、精神的疲労は日ごとに増す。


身内に犠牲が出てもわが身を顧みず、被災地にとどまる隊員も多い。


実績を声高に誇ることもなく、黙して語らぬ隊員の思いと労苦を隊員同士のメールや写真から検証した。






  

Posted by 『にっしゃん』 at 07:17Comments(0)災害